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どこまでも続く稜線をフレームに収める
飯坂大 縦走の魅力

 

旅人の縦走観
2019.10.11

写真家・飯坂 大さんが、全ネパールを横断する〈グレート・ヒマラヤトレイル〉を踏査する〈GHTプロジェクト〉を仲間と3人で始めて5年。トークショーなども積極的に行っていて、ヒマラヤを撮影して歩いている人、という認識がだいぶ広まってきている。
でも、それは飯坂さんのほんの一面でしかない。20代はじめにバックパッカーとしてアジア各国を巡り、そこで登山というものに初めて出合った。帰国後は国内の縦走路を数多く歩き、カヤックで知床半島を回ったりもした。作品撮りのためにニュージーランドのグレートウォークを踏破し、最近ではアメリカのトレイルにも赴いた。他にも大小の旅がさまざま。「Life is Journey」を地で行く。そんな人だ。
今回のテーマである縦走というキーワードを投げかけると、いかにも彼らしい答えが返ってきた。

「僕の場合、縦走と旅というのがイコールで繋がるんです。僕にとっての縦走は歩き旅の一形態という認識です」
彼にとっては縦走とは、旅の後ろに括弧書きでくっつくもの、ということらしい。本来の予定とは違うけれど、そんな彼からは旅の話をじっくり聞いたほうが面白そうだ。 というわけで、この稿は、旅(縦走)だと思って読んでもらえると、彼の考え方が捉えやすいかもしれない。
旅の良しあしは、その時間の長さに依存しない
「旅の良さというのは、移動をしつつも、そこに留まれる感覚があることだと思います。その時に大切なのは時間だけではなく、なんというか濃度、みたいなものなんですね。もちろん、いまやっている〈GHTプロジェクト〉のような長い旅をすれば、その濃度は自然と上がりますが、そういう長い旅だけが良いとは思っていないんです。僕はトレイルランも好きなんですけど、それは速く遠くに移動できるからではなくて、例えば48時間という制限時間だとしても、とても長く旅をした感覚になれるからなんです。短い時間なのに濃いんですよ」
昔は長い時間かけて旅をするのが好きだったというが、いまでは時間はそれほど重要ではなくなってきた。家の近所の公園や川。そういう身近な自然にも良さを感じられるようになってきたのは、ここ最近で変化してきたことのひとつだという。そして、旅の経験を積むことによって、その一形態である縦走というものの魅力も、自分なりに深く掘り下げられるようになってきた。
昔歩いた道に繋がっている、という感覚
「山を旅していると、ふと海外の山に繋がっている感覚を覚えることがあるんです。物理的にはとても離れているんですが、どこか心象風景的に繋がっている。例えば北海道の登山道を歩いていると、その先に昔歩いたニュージーランドの道が繋がっているんじゃないか、と感じる瞬間とかがあるんです。それと同時に、かつてこの登山道を歩いた人に思いを馳せることもあります。そういった時間や空間を超えた共有感を得られる瞬間というのが、山旅にはありますね」
いつかはそういう、自然の持つ共有感を感じられるような写真集を作りたい、というのが、飯坂さんの写真家としての夢だ。大きく捉えれば「世界はひとつ」ということ。それが難しいのは百も承知。ただ、その方法として、ステレオタイプな山岳写真や自然写真などを撮ることには、あまり興味がないという。

「あそこの夕陽は絶対に狙いたいとか、どこどこのキレットを撮りたいとかそういうのは全然思わない。直接的なものではなく、心に訴える曖昧ななにか、を撮りたいんですよ」
彼の写真は、もちろん美しい風景を切り取ったものもあるが、特徴的なのは自然の中に居る人物を生き生きと捉えたものが多いところだ。ヒマラヤに行っても、雄大な自然にしか目を向けないわけではなく、その麓の村で糸を紡ぐ女性や、農作業をする老婆など、そこに居る普通の人にレンズを向けていることが多い。つい先日撮ってきたと言って見せてくれた北ヨセミテの写真にも、数多くのハイカーたちの姿が収められている。
人を媒介にして自然を捉える
「旅に出会いを求めているところはあります。風景との出合いもそうですが、そこに居る人を媒介にして、僕なりの自然観みたいものを表現したいという気持ちは強いですね。写真というものは、僕にとってはコミュニケーションツールでもあって、それがあることによって、初対面の人とでもグッと距離感を詰めることができる。だから、写真というものには感謝してもしきれないです」
自分を豊かにしてくれた写真と旅。そこから自分がもらった曖昧なもの。それを出来るだけ多くの人に、写真という方法でもっとわかりやすく伝えて行きたい。最近ではそういう思いが強くなってきたそうだ。

「登山や旅にまったく興味のない人にも、入口を示したい。そういう写真を撮れるようになりたいなとは思いますね。自分自身が登山というものを通じて成長できている実感があるので、それを返していきたいという気持ちは強いです。そして、旅をするからこそ、日常生活の大切さにも気づけるというのが僕の考えです。そのきっかけとなったのは、〈GHTプロジェクト〉の存在が大きいですね。ああいう風に長い旅に毎年でかけると、帰ってきたときの生活もとても貴重で大切に思えるんです。そういう意味でも旅はやはり良いものだなと感じます。ヒマラヤも素晴らしいけど、実は日常の中にも同じくらい素敵なものはあるんだよ、ということも、写真を通じて伝えて行きたいと思っています」
日常生活もある意味、人生という旅の途中。写真家としての彼の志は高い。まだまだその途中だとしても、きっと彼なら辿り着けるはずだ。それがもしも予想外の場所だったとしても「それも旅の醍醐味ですから」と笑い飛ばしそうな明るさが、彼の笑顔にはある。
バックパックに求めるもの
特に長い旅になると、無人の場所が必然的に多くなってきます。なにかあったらそれが生命にかかわるようなトラブルに発展しやすいということです。特にバックパックは、すべての荷物を背負うためのものですから、それが壊れてしまったら、それこそ終わりなんです。だから耐久性というものはすごく重視します。バルトロはそういう意味では文句なしですね。いままでの旅でかなりラフ、というかバックパックからしたら「勘弁してよ」というくらいの苛酷な使い方をしていますが、壊れたことは一度もありません。だから、他のブランドのものを試す気は起きませんね。だって、バルトロで壊れないことが証明されているのに、あえて他のものに変えて、壊れるかもしれないというリスクを背負う必要なんてないですから。
背負い心地の良さ。ストレスを感じないことも大事です。1日2日だったら、ちょっとくらい体に合っていなくても我慢はできますが、それが1ヶ月続くとしたら、やはりフィット感にもシビアになります。

あとは長い旅になると、旅が日常になってきます。だからバックパックのこのポケットには、いつもコレを仕舞っていて、という具合にルーティンができてくるんですね。バックパックは、旅の間の収納棚という要素も大事になってきます。好みもあると思うんですが、僕の場合は、ポケットの数や大きさ、位置関係などバルトロの作りがとても合っているんです。外付けしなくても、中にしっかりと収納できるようになっているところも好きです。岩稜帯なんかだと、外付けするとそれが引っ掛かって滑落、というのは容易に想像できることですから。メッシュも良く使いますね。例えば濡れてしまったテントのフライを、そこに入れておけば、ちょっとした休憩のときなんかに取り出して乾かしたりもできます。
トークショーなどで良く聞かれるのが、カメラをどう仕舞っているかということ。僕の場合はフットワーク軽く行かなきゃいけないことも多いので、基本的にカメラバッグとの組み合わせはしません。だからカメラを仕舞う場所としては、バックパックの一番上。雨蓋のすぐ下ですね。ただ、保護も同時にしたいので、大きめのチョークバッグを使っています。内側がフリース素材になっているので、キズが付きにくいんです。その上を中綿入りのジャケットなどで一度くるんでから入れています。欲を言えば、バックパックの中に入れられる、完全防水のポーチみたいなものがGREGORYから出てくれるとうれしいですね。
Text:TAKASHI SAKURAI Photograph:DAI Iiizaka